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こんにちは、れおるーくです。
今日は与えることについてです。

参考になればうれしいです。

この世界ではいまだにイジメや争いがなくならないのは、こういうことを理解できない大人の責任なのではないのかなと思います。
誰かを否定する。
そうする人たちは、決まってこのような共通点があるものですよね。
- とにかく自分を肯定したい。
- 相手を否定することで自分の優位性を保とうとしている。
- 負けたくないというコンプレックスからくるもの。
その攻撃という与えたものは、必ず同じエネルギーで返ってくるものです。
例えば、動物たちに攻撃を加えると、攻撃してくるようになるし
優しく寄り添うと優しく寄り添うようになる。
与えたものがその通りに返ってくるんです。
人間社会でも同じですよね。
誰かを嫌うと相手の方も自分を嫌うようになるし
誰かを否定すると自分も否定されるようになる
なので与えることを選んだ以上、返ってくることも選んでいるわけで
それが何を与えるかで争いになるかどうかも決まるんです。
それを大人がいつまでも同じようにしている限り
この世界から争いはなくならない。
だからと言って自分が感じていることを自分で否定する必要はないんですよ。
感じることは感じているんだから仕方のないことなのです。
認めて自分の意見は自分の意見だと伝えるだけです。
だからあなたが間違っている
自分が正しい
これは勝ち負けの概念であって
それはあまりにも幼稚すぎるから
いつまでもこんなバカバカしい世界になっているのに
この世界ではみんな自分で作り上げた思い込みの世界で生きている
それがすべてでそれを否定されると
生きている価値を踏みにじられていると感じるものだから
抵抗し相手が間違っていると主張する
でもあなたの思い込みは、あなたの見る方向からしか見えない世界の塊なんです。
違った意見の人は、あなたからは見えていない方向からの世界の見え方をしているだけ
だから、そういう視点もあるんですねと認めればいいだけ
でも私はこう感じているということを自分で否定して苦しむ必要もない
だってあなたにとって、それはその方向から見たら正解なのですから
それはつまり、相手の方も同じで
その人から見る世界においては正解なのです
人はいろんな角度から見るようになれるということが成長なのだとしたら
あなたを否定してくる人は、むしろ気づきだったり成長させてくれるありがたい人なのかもしれません
そういうふうに考え方を変え、現象の見方を変えるという成長が必要なのです
ただ、相手から受けたことを無思考の反応生物のようにただ返しているうちは
あなたも相手と同じことを与えてそれを受け取るというラリーで終わるでしょう
気づきというきっかけを与えてくれた事象と捉えれば
それは感謝を与えることになるでしょう
そして、そのやりとりを第三者が見たときに
どちらがこれからの世界のとって必要な対応力なのか
わかると思いますし、それもまた何かを与えることにもなるでしょう
そういう幸せの連鎖を生み出すことを意識するといいのでしょうね
ただ殴りかかってくる自分が強いことを証明したい人に
同じように殴り合って解決したってお互い傷つけあうだけで
新たなマイナスのエネルギーを生み出すだけで
それを強くするだけで
より濃くするだけで
決して良い未来はないですよね
私は水であったり
空気のような
そういう自然に抵抗なく相手がスルッと拍子抜けするくらい
手応えのない力で対応できる
そんなふうにできる人になって
愛ある対応ができるように成長していきたいと思っています。
何か参考になればうれしいですね
以上 れおるーくでした